【自分で会社を経営して見えてきたもの】

●三宅さん/5年前は沖縄で暮らしてたんですけど、人口1万人くらいの小さな町で。5000円で間借りした2畳半くらいのスペースで、パソコン1台でネットショップをやって。特に原発事故以降、新しい情報をくれる本とか、友達に「これ読んでよ」って言いたくなるような本を10冊20冊仕入れておいて、あとは仲間のCDとか、そういうところから始まったんですけど。どんな僻地にいても個人でそういうネットショップはできちゃう。

で、だんだん追いつかなくなるくらい売れるようになったのでアルバイトを雇って、僕が音楽が忙しいから店長を雇って。資本主義の向こう側にある緩やかなオーガニックの経済をスモールビジネスでさらっと暇なときにやろう、くらいのコンセプトでやろうと思ってたら、雇った人の責任も出てくるし、バイト代も払うし、そのうち保険の人がくるし、もちろん会社の登記をすることになったりとか、資本主義社会で経営をどうやっていくかという、そういうものに巻き込まれていって。

大変だから人を増やせるなら増やそうってなるんですけど、人が増えたぶんだけ一人分の人生がやってくるんですよね。だからたった5人や6人の事務所でも人間関係やシステムの話が出てきて、会社って大変。バンドだけでもまとめるの大変なのに。俺はこの場ですごいいい経験をしています。

資本主義経済が行き詰っている中で、資本主義の小さな企業の経営者の苦労を味わいつくしてるのもあって、基本的に今、日本の経済や政治が、こういう単位で商売する人たちをあんまり認めたがってないな、という構造的な問題を感じてます。

●枝廣さん/今、いろいろお話を伺いながら、今日のテーマの小商いって言ったときに、大商いと違うのは、一つは規模ですよね。小さな規模でやっている。私も会社をやっていますが、社員が4〜5人、そういった意味では小規模、そういう意味での小商い。

だけど規模が小さくても資本主義の中でとにかく謙虚な行いをすることを目指しているこの3者の小商いは、規模が小さいプラス、もしくは×(かける)社会的企業、ソーシャルベンチャ―的な、つまりビジネスという手段をツールとして使いながら、社会を少し良くしたいという。

【フランスで支持されている「すべて量り売り」のお店】

お二人がされていることは日本の中ではまだまだ少数派ですが、ヨーロッパやアメリカではかなり主流になりつつあります。今年の5月にフランスに取材に行ったんですが、今パリを中心にフランス全土に広がってるビジネスがあって、お店のすべてが量り売り。お豆とか穀類とかもちろんあるし、あと石鹸も量り売り、「すべてが量り売り」がコンセプト。

そこが非常に人気で、お店が20軒とか30軒とか増えている。そういった意味で言うと昔は日本も量り売りだったんですが、フランスはその価値を認めるようになっている。

【「オーガニック」と「地元」という2つの価値】

あとアメリカの大きなスーパー、高級スーパーだけじゃなくて、普通によく行くスーパーも、野菜売り場は「オーガニック」と「ローカル」。オーガニックっていうのとローカルっていうのを区別して使っていますね。

それがごっちゃになることがありますね。先ほど隣りのおばあちゃんの話があったけど。あちらでは「オーガニック」っていうのと「地元・近場」っていう、その2つの価値を、両方を非常に大事にしているなと。

ヨーロッパとかアメリカ、特に私が行ったのは西海岸でしたけど、オーガニックが非常に広がっている。日本は昔からオーガニックの作付面積が、確か0.2%と全然広がらない。ヨーロッパとかアメリカでは大きくなっている。それがいいと思って選ぶ人がある数を超えると、消費動向となって大きな力となっていく。

【動物に寄り添う飼育「アニマルウェルフェア」】

そして今、ヨーロッパを中心に広がっているのが「アニマルウェルフェア」。動物が感覚ある生き物であるということをきちっと考えた上でつくろうという考え方です。日本人の卵のつくり方って、一羽あたりB4の紙1枚あるかないか、そのちっちゃい面積に鶏を詰め込んで、とにかく目の前のエサをついばむしかない。卵を集めやすいように床が斜めになっていて、しかも糞の世話がしやすいように床は金網、金網をつかむのに適した足じゃないんですけど、それで金網をつかんでいる、非常に悲惨な状態で生まれてる卵がほとんどです。

EUはそういった飼い方は2012年に禁止をしているし、ブータンとか他の国でももう少し動物らしい、鶏らしい飼い方になっています。そういったアニマルウェルフェアは少なくとも北欧では消費動向になっていて、そういった多少高くても買ってる人が、ある数まで増えると高くなくなるんですよね。

【個人事業主から買うという選択】

それは企業も努力するし、そういった形でだいぶ変わってきているなと。今日の小商いにつなげて言うと、アメリカの西海岸、シアトルとか取材してたときに、アニマルウェルフェアを非常に大事にしたハンバーガーショップがあります。チェーンも40店舗くらいあります。

私も食べてすごくおいしかったですけど、そこはオーガニックで、地元で、アニマルウェルフェアをちゃんと大事にした形で牛を飼う。子供のころから飼うんですけど、そこのもう一つのカギが「家族経営の小さな農場から買う」ってことを決めてるんですね。

さっき「オーガニックが大手に持っていかれている」って話があったと思うけど、そこの会社は、オーガニック大事、地元大事、家族経営の農場から契約して買うってことを決めてやっています。

なので、まだ日本ではそういう軸がなくて、大地を守る会とオイシックスが一緒になったりとか、オーガニックが大きな武器になってるけど、そうすると私たち消費者が選ぶとき、「自分の健康だけ考えたら別に大手がつくってもいいよね」って話になる。だけどもう一つ、それだけじゃない、地域のこととか地球のこととか、どこまで考えてオーガニックを選んでいくかがすごく大事になる。

【小商いを住民みんなで応援する町、トットネス】

去年取材に行ったイギリスのトットネスという町があります。『地元経済を創りなおす』の中にも紹介してるんですけど、トットネスという町は、トランジションタウンという、「化石燃料に頼らない町にしていこう」という動きが世界で最初に起こった町です。

そのトットネスというところでいろいろ話を聞いていたんですけど、人口8000人くらいの街ですね、まわりまで入れると1万2000人、かつては造船業が盛んで大きな乳業会社があって、病院があって大学があって、それがほとんど雇用を生みだしていたんですね。

あるとき造船業が不況になって乳業会社も廃止されて大学も他に移転しちゃった。失業者がいっぱい出た。これはいかんという話になった。トットネスの人たちは話し合いをして、「また大きい会社に頼っても、そこがいなくなったら同じだよね」と考えた。それより小さい規模のお店とか事業者をたくさん持ってたほうが安全だ。そういうふうに彼らは決めて、大きいところを誘致するのではなくて、町の中に次々と小さいビジネスが生まれるシステムをつくっています。

それはまさに小商いを応援するということ。小商いをやってる人が偉いから支えようというよりも、小商いがたくさんあるほうが自分たちにとって安心だ、安全だっていう考え方ですね。でもそれは時間がかかるんですね。

大きい会社を一つ誘致したほうが絶対楽ですよね。だけどそうしないっていうことを選んだ。コスタコーヒーという、スタバみたいなイギリスのチェーン店があるんですけど、そこがトットネスに入ってこようとしたんですね。そのときトットネスの人たちは大反対した。町には独特のコーヒー店が40店ある、そこに大きな何十席っていうチェーン店のコーヒー屋さんはいらないと。

で、コーヒー戦争って言われてるんですけど、いろんなやり取りがあって、入ってくるのを阻止した。コーヒー戦争に勝ったっていう。今でも町ではそれぞれの個性的なコーヒーショップ、カフェがあちこちにあって町の人たちが楽しんでいる。

そうやって町が意志を持って、大きいところに頼るんじゃなくて小商いこそ町のためだと、そういうことを選んだということで、面白い町であるというふうに思っています。

先ほど日本だと、アマゾンとか大手が入ってきたときにスモールビジネスは難しいという話もありました。そのあたりについてどのようにお考えでしょうか? もし、切り口とか変化をつくり出すきっかけとなることがあれば、どういうことなのか、普段ずっとそういうことを考えていらっしゃると思うのですがどうでしょう。

【正しい小商いの形とは】

●近藤さん/僕もちょっと一つ枝廣さんに聞いてみたいことがあって、どういう社会が正常なのか、エネルギーとかすべてにおいて、正常な定義っていうのがなさすぎるというか、目指すところの形がなさすぎるというか。原発が悪いとか、否定するものは目につくんですけれど、じゃあ正常な形っていうものの目印がなさ過ぎて、どうしたらいいか分からないという人がほとんどだと思うんですよ。

小商いというのもすごく曖昧で、小商いって僕ちょっと調べたんですけれど、言葉としたら、わずかな資金で行う商売、小規模な商売、取引額の小さい売買ということが出てくるんですけど、これだけで言うと大商いと変わらない要素が含まれてくるというか。

小さい規模の、家族で暮らせる範囲で売ってるのが小商いなのかというと、それはたぶん違うと思うので、なんかもっと「この商売がやりたい」という気持ちにさせられるものであったりとか、コタンもそうなんですけれど、繋がり、地域で繋がっているという商売だったりとか、そういう定義がない限り、都市計画とか社会計画として応援できないと思うんですよ。

ただ単に「小規模の取引きをしている商売を応援します」ってなると、わけわかんない状態になる。なにか市の人とかまちづくりをする人たちが応援できる定義みたいなものがあれば。そういうふうに考えると、うちの中でももっとやれることとか、これはこっちから買おうとか、本当に今言った、放射能のことより家庭排水というように、お店でできる足元のことが無数にまだまだあって、なにかその定義みたいなものが形になったらいいなというように思います。

【日本の都市が殺風景になっている】

●三宅さん/街に小商いがあるメリットっていうのはさっきヒデ君が言ったように品質、安全性。顔がある人が家族単位でやってるとこなんか、変なものを売ってたらすぐに文句を言われてしまうわけで。そしてお店の独自性、オリジナリティが、ひいては街の景観とかデザインにつながってくると思うんです。

今から言う企業に勤めている方がもしいたら、これは批判と捉えないでほしいんですけど、僕ミュージシャンですのでツアーします。1年間でひどいときは10万キロ走る環境破壊野郎なんですけど。地球を守ろうぜっていう状況で、矛盾を抱えて走りましょうって感じなんですけど、こうやって日本中を走っていると、ここ15年くらい日本を見てきて、国道沿いの景色が北海道から沖縄まで同じになったっていうのがあります。

牛丼屋があったり、中古の本屋さんがあったり、紳士服屋があったり、景色が統一されていく。経済的にどうなのかという以前に、街が殺風景になったんですよ。これって心の部分で大事なところです。最近は倉敷なんかもそうですけど、若い人たちがコーヒー屋さんを出したりとかスムージ―屋さんを出したりとかで、小商いが流行っているところってやっぱり面白い。ほっとするし。なるべくちっちゃい、誰もいなさそうな店を見つけて入ろうみたいな。

これって大きい企業が目指しているものとは真逆のもので。みんなときには店に一人で入りたいっていうのが実はあると思うんですよね。俺だけが知ってる、できれば流行ってほしくない店がいっぱいあるエリア、そういう街づくりができると小商いの存在意義がすごい見えてくるかと思います。

【「地球1個分」の生活をめざすこと】

●枝廣さん/ありがとうございます。先ほど「何をもって正常と捉えるのか」という話がありましたよね。いろいろな価値観があるし、人によっていろいろな考え方がありますが、持続可能ってことで言うと、絶対外せない原理原則があります。私はそれに沿ってることがまず正常の大前提だと思っています。

それは、私たちがこの地球の上で暮らし、経済を営んでいる限り、地球が提供でき、地球が吸収できる範囲内でしか生活できないっていうことです。これはもう誰も反論できない原理原則だと思いますね。

地球が提供できるうる資源とか、地球が吸収できる廃棄物、CO2とかも含め。その範囲でしか私たちは持続可能に生活できない。それは正常な社会の定義の一番大事なところかなと。もう少し分かりすい言い方をすると、地球1個分っていうことですね。

もうご存知の方はいっぱいいらっしゃると思いますけど、今の私たち日本人が生活するには、地球1個分では足りない。地球2.5個分ぐらい必要になってますね。アメリカの生活だと地球4個とか5個とか言われてますけど。なので地球が提供できるもの以上のものを使ってしまっていると。

日本ではあまり知られていないんですが、「オーバーシュートデー」っていう、世界的に毎年発表されるものがあります。一年間に地球が提供できるものは、例えば魚とか森林とか、限られてますよね、一年間に地球が吸収できるCO2も限られてますよね。私たち人間は、それを上手に使って元旦から大晦日まで暮らさないといけない。でも実は、私たちはそれを一年間の途中で使い果たしている。

いつ使い果たしたかを毎年計算している人たちがいるんですね。私がその統計を最初に知ったときには10月何日って言っていて、あと一ヶ月半どうするんだって。将来から、未来から前借りするしかない。それがだんだんと早まっているんですね。去年のオーバーシュートデー、一年分を使い果たしたのは8月2日でした。今年は8月1日です。なのであ5ヶ月分は未来世代から前借りをしている。

【単に小さいだけではない「ソーシャル小商い」へ】

これは全然持続可能ではなくて、正常ではない社会と経済の形になっています。私がずっとやってきた活動の一つが、定常経済という、どんどん大きくなり続けるのではなくて、大きさが変わらない、でもその中では活発な経済活動があるというもの。

新しい会社が生まれ、支持されなくなった会社は廃れ、そういうことはあるけど、経済自体は、その量は変わらない。それを定常経済って言います。定常経済にいかにシフトしていくかっていうのを一生懸命やっている人たちもいます。

そういった意味で言うと、私の正常の定義は、「幸せで持続可能な社会」っていうシンプルなものなんですけど、持続可能っていうのは地球1個分ってことです。それで小商いの私たちなりの定義っていう話がさっきありましたが、平川克美さんが言っているような小商い、私たちが語っているような小商いは、「ソーシャル小商い」みたいな感じで、小さいっていう規模だけじゃなくて、それがソーシャルベンチャーというか、自分たちの利益の最大化というのではなく、やっているのが大事かと思います。

それともう一つだけ、じゃあソーシャル小商いをどういうふうに考えるかという、それが定義にも繋がってくると思うんですけど、その一つのヒントが、さっき近藤さんがおっしゃった「外に出て行かない」っていうことだと思うんですよね。

地域を大事にしよう。なので地域のものを調達して、地域に利益を還元して、そういう地域の中の循環を良くするような、そういう商売のやり方。同じ小商いでも、東京に本社があるところから仕入れたら、そこの売上げは次の日には東京に飛んじゃいます。そういう小商いもある。

【商行為が環境に与える影響を計る】

今私がやってる活動で、ここ数年ですね、今4つ取り組んでるんですけど、一つは環境影響なんですね。例えばこの林檎とこっちの林檎、どれぐらい環境にいいんだろう?林檎だけ見てても分からないんですよね。かたや無農薬で地元でつくられた林檎。かたやそうではなくて、遠くから運ばれた林檎。それは今、LCAという、ライフサイクル・アセスメントということで、ある程度計算することができます。

地元に根ざした小商いの良さは、遠くから持ってこないで済むので、運ぶときに出てしまうCO2も減らせるし、余計なエネルギーを使わなくて済むこと。そのへんは今、計算することはできます。なので環境影響っていうのは一つ目なんですね。

【地域内のお金の動きを「見える化」する】

二つ目に測ろうとしているのが、地域循環なんです。入ったお金が地域の外に出て行っているのか、地域の中でまわっているのか、今それをある程度計算できるようになっています。

私がお手伝いしている北海道の下川町、今年は熊本の南小国町、島根県の海士(あま)町、こういったところでは地域の中のお金の循環を「見える化」するというプロジェクトをやっています。例えば小商いの一軒一軒でも、近藤さんのコタンでそれを計算すると、コタンが1万円儲けると、地域にいくらプラスが突き出されているか、それを計算することができるんですね。そうすると見えなかった価値が見える化できる。

【買い物と幸福度の関係】

それともう一つが幸福度なんです。幸福度は今非常に研究が進んでいて、幸せを計ることがある程度できる。例えば大きなスーパー、もしくはアマゾンで注文して誰とも口を聞かないでも、商品は届きますよね。そういったものと、コタンに行って近藤さんとおしゃべりしながら商品を買うのとでは、幸福度ってきっと違いますよね。

これは面白い研究があって、アメリカの研究ですけど、スーパーで買い物する人と、ファーマーズマーケットっていう農家がお店を出しているところで買い物する人を研究した結果、スーパーで買い物する人は、ファーマーズマーケットで買い物する人に比べて10倍しゃべっていない。そりゃそうですよね。近くの農家としゃべるといろんな繋がりになるし、安心になる。そういった幸福度。

【商行為が社会にもたらす価値】

最後に今取組んでいるのが、12月に東京でセミナーをやるんですが、ソーシャルインパクトを計るということをやっています。例えばコタンがあることが社会にどれぐらいのプラスを生み出しているのか。コタンがあることで、人がどんな安心感を持っているかという価値を計る。

なので長い答えになっちゃたんですけど、もし私たちが上手くいって、これがもっと流行ってきたら、ソーシャル小商いがいっぱい出てくるかも分かんないので、そのときにソーシャル小商いのラベリングっていうか、「ここは本物だよ」っていうのを、今言ったような4つぐらいの基準で見ることできるかなと思っています。

一回ここで休憩入れて、後半ちょっとまた前のお二人のお話を伺って、ぜひ会場のみなさんからのご質問とかコメントとかに答えて続けていきたいと思っています。